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𠮷田侑生 

母方の祖父が営む楠丑材木店で、25歳から働き始めた吉田侑生さん。長く続いた製材業を止めてしまうのはもったいないと、それまでは違った分野に勤めていたが、一転して材木の世界へ。価格も底を付いた時期であったため、「よお、入ってきたな」と周囲にはいわれたそうだ。かつては尾鷲に40軒ほどあった製材所も今や6軒。そんな林業が低迷する時代に仕事を始めたからこそ、侑生さんは動じない。「一本ものの需要がなくなったなら違うカタチで売ればいい。捨てられるかもしれない板も、買う人によって価値がつく」とフレキシブルに考える。尾鷲ヒノキは柔らかくて家具には不向きとされてきたが、知人の家具作家とともに「キズがついてもそれをアジにして、ヴィンテージ感覚のいいのができたんですよ」と新しい可能性を探っている。「木は廃れていかん、考え方次第で残っていける。力合わせてやっていかないと」と、木でつながる関係も大切にする。

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田中俊輔

幼い頃、ドラマで聞いた「尾鷲ヒノキ」という言葉に、父親の仕事を意識するようになった田中俊輔さん。曾祖父と祖父は木挽き職人、機械化が始まり祖父がはじめた製材業・田中木材店を継いでいる。修業時期は、原木から製品まで木の全てが集まる松阪木材で過ごしたが「『役物』と呼ぶいい材が集まるので、木の質を知れたこともよかったし、何より全国から買い手が訪れ、ネットワークもできました」と2年間を振り返る。山から消費者にわたるまで、材木には育てる、運ぶ、加工と専門の職があるが、今や関連産業は減少。「運送会社も減って、注文があっても届けられなかったり。軽トラで自分で行けるとこまでは行くんですが」と俊輔さん。高齢化の波に悩まされる中、全体での底上げに取り組み、伝統工芸・尾鷲わっぱなど、尾鷲ヒノキに携わるものが一体となってFSCの認定を受けている。年の離れた人との交流も田舎の強みと、さまざまにトライする。.

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TAMON KUSU

物心ついた頃から、祖父に山に連れて行かれたり。製材工場で遊び。日常が木に囲まれていた。大きくなって周りからは木材業界に入る事は反対されながらも、林業学校を出て、他社にも修行に行き、各地の木材と触れた中「やっぱり尾鷲の木はよいなぁ」と思うようになる。沢山の人に尾鷲の木の良さを知ってもらいたいと、色んな角度からの木材流通を試みて励んでいます。これからを担うニューヤングに期待です。

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TARO YOKOYAMA

人・自然・地域・都市が共 生する世界は豊かなものだという信念のもと、「食」を軸に、そういった世界を伝えていく、実 現していくべく活動している。生産者・消費者がお互いの世界を理解し、つながること、人々 が五感を使ってその土地の自然環境感じることで、双方の信頼関係を築き、結びつきを深め、 自然環境や食に取り巻く環境を持続可能なものにしようと努める。自身で生産地に足を運んだ り、料理の勉強にも励む中、地域の食材を使った ポップアップレストラン「Rotable」 をスタート